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本文

UNIT9

1 My name is Seydou Keita and I am a professional photographer. Here is my story. I was born and raised in Bamako, in the West African country of Mali, in 1921, the eldest of five children. My father and uncle were both hard-working men, and they were known for their skill as carpenters. It is thanks to my uncle that I learned how to make furniture at a young age. I had great admiration for my uncle, so I was very sad that he went away to Senegal to work when I was ten years old. But when he finally returned to Bamako, he brought back a camera, which he later ended up giving to me. This is how I got my start in photography, with absolutely no training at all. Since then, I have done everything possible to be a good photographer.
2 For ten years I worked both as a carpenter and a photographer. I always spent my spare time taking photos of my family. I’m afraid, though, that I got off to a rather bad start in my professional photography work. Cameras were rare in Mali at that time, so people would approach and offer me money to take their photo. Shooting photos like that in the street caused all sorts of problems because people often moved while I was taking their photo. They simply did not understand that even the slightest movement could ruin the photo. When I got the photos back from the camera shop, the people in them often resembled ghosts. Some would refuse to pay me, despite the fact that I had already paid to have their photos printed. From then on, I would always insist that customers pay me in advance.
3 In 1948, I opened my own studio in what was then called “New Bamako.” This made a huge difference to my career as a photographer. Now, rather than having to take photos out on a busy street, I could work in a peaceful environment. Though there were other photographers in town, I had an advantage over them. My studio was located on the main street between the train station and Bamako’s market, which was one of the largest markets in all of West Africa. Visitors to Bamako, many of them coming from the neighboring countries of West Africa, had to pass by my studio on their way to the market from the station. And this is how my name became known throughout West Africa.

 

 

和訳

UNIT9

1 私の名前はセイドウ・ケイタ,私はプロの写真家である。これは私の話だ。私は1921年に西アフリカの国であるマリにあるバマコで,5人の子供の最年長として生まれ育った。私の父とおじはどちらも勤勉な男たちで,彼らは大工としての技術を知られていた。私が若い頃に家具の作り方を習得したのは,おじのおかげである。私はおじに深い敬意を抱いていたので,私が10歳のときに,彼がセネガルに働きに行ってしまったことはとても悲しかった。しかし,彼がついにバマコに戻ってきたとき,彼はカメラを1台持ち帰った。それはのちに彼が私に与えることになったものである。このようにして,まったく何の訓練もなく,私は写真を始めた。そのときから,私は腕のよい写真家になるためにできることはすべて行ってきた。
2 10年間,私は大工と写真家の両方として働いた。私はいつも空き時間を,家族の写真を撮って過ごした。しかし,残念ながらプロの写真の仕事においては,私はいささか悪いスタートを切ったと思う。その当時,マリでカメラは珍しかったので,人々は近づいてきて,私に自分たちの写真を撮るようお金を差し出してきたものである。そのように道で写真を撮ることは,いろいろな問題を引き起こした。なぜなら,私が彼らの写真を撮っている間,人々はよく動いたからである。彼らは,ほんの些細な動きでさえ,写真を台無しにすることがあるということを,どうしても理解しなかった。私がカメラ店から写真を取ってくると,それらの写真に写っている人々はしばしば幽霊に似ていた。彼らの写真をプリントしてもらうために,私はすでにお金を支払っていたという事実にもかかわらず,私にお金を支払うことをどうしても拒否しようとする人もいた。それからというもの,私はいつも客には前金で支払ってもらうように要求したものである。
3 1948年,私はその頃「ニューバマコ」と呼ばれていたところに,私自身のスタジオを開いた。これは写真家としての私の経歴に相当な違いをもたらした。今や,私はにぎやかな通りで写真を撮らなければならないのではなく,静かな環境で仕事をすることができた。町にはほかの写真家もいたにもかかわらず,私は彼らよりも有利であった。私のスタジオは,列車の駅とバマコの市場の間の大通りに位置していて,その市場は西アフリカ全域で最大の市場の1つだったのである。バマコへの訪問者たちは,彼らの多くは西アフリカの近隣の国々から来ていたのだが,駅から市場へ行く途中で私のスタジオのそばを通り過ぎなければならなかった。そして,このようにして私の名前は西アフリカ中に知られるようになったのである。

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