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本文

Lesson 13
In the late 1800's, there were a few people in America who began to notice some problems within society. They noticed that the freedom Americans loved was not enjoyed by everyone. They noticed that there were many groups of people, especially African Americans and women, who had very few rights. One of these people was Lucretia Coffin. She was an activist in the anti-slavery and women's rights movement.
Lucretia was born into a Quaker family in Massachusetts. The Quaker religion taught that women and men should have equal rights, and it encouraged women to speak out for what they believed in. Lucretia became a teacher at the boarding school she had attended. She later went on to become a religious leader, which gave her the opportunity to share her ideas with more people. Lucretia and her husband, James Mott, were both opposed to the slave trade. They refused to use cotton cloth, sugar cane, and other products produced by slave labor. Her husband supported her actions, and they often protected runaway slaves in their home.
She became more interested in women's rights at an anti-slavery meeting in London. At the meeting, women had to sit in a separate area from the main meeting area. They could not participate in the meeting. Lucretia began to think that a meeting for women's rights was needed as well. Her idea grew into the Seneca Falls Convention, which is now known as the starting point of the women's rights movement.
Throughout her life, Lucretia continued to work against slavery and for equal rights. She was one of the early leaders in these movements, and her views were considered unusual at the time. Although other Quaker men had been involved in the anti-slavery movement before Lucretia, she was one of the first women to work against slavery. Many people did not support her or her right to express her opinions. Many people tried to scare her by sending her death threats.
In addition to her job as an activist, she also worked hard as a wife and mother. She found time for her activist work in addition to taking care of her six children. She was one of the early leaders in the movement to help make American society better for slaves and women.

訳文

Lesson 13 奴隷・女性解放運動のリーダー人権・社会
全訳
1800年代の終わりごろ,社会の内部のいくつかの問題に気付き始めた少数の人たちがアメリカにいた。アメリカ人が愛する自由はすべての人によって享受されているわけではないと彼らは気付いた。とりわけアフリカ系アメリカ人や女性といった,ほんのわずかな権利しか持たない人たちの集団がたくさんあることに彼らは気付いたのだ。ルクレティア・カーフィンもこういった人々の中の1人だった。彼女は反奴隷制度運動と女性の権利運動の活動家だった。
ルクレティアはマサチューセッツのクエーカー教徒の家庭に生まれた。クエーカー教は女性と男性は平等な権利を持つべきであると教えており,また,女性たちに自分たちが正しいと認めることを支持して公然と声を上げるよう奨励していた。ルクレティアは自分の通っていた全寮制学校の教師となった。その後,引き続いて彼女は宗教指導者となり,そのことが自分の考えをより多くの人々と分かち合う機会を彼女に与えた。ルクレティアと夫のジェームス・モットは2人とも奴隷売買に反対していた。彼女らは奴隷労働によって作られた綿布やサトウキビ,その他の製品を使うことを拒んだ。彼女の夫は彼女の活動を支え,彼らはしばしば逃走した奴隷たちを自分たちの家に保護した。
彼女はロンドンでの反奴隷制度の会議で,女性の権利により興味を持つようになった。その会議では,女性は中心となる会議場から離れた場所に座らなければならなかった。彼女たちはその会議に参加することができなかったのだ。ルクレティアは女性の権利のための会議もまた必要とされていると考え始めた。彼女の考えはセネカ・フォールズ会議へと発展し,それは今では女性の権利運動の出発点として知られている。
ルクレティアは生涯を通じて奴隷制度に反対し,平等な権利のために力を尽くし続けた。彼女はこれらの運動における初期の指導者たちの1人であり,彼女の考えは当時珍しいと思われていた。ルクレティアより前に反奴隷制度運動に参加してきたクエーカー教徒の男性たちは他にいたけれども,ルクレティアは奴隷制度に反対して力を尽くした最初の女性たちの中の1人であった。多くの人が彼女あるいは自分の意見を言う彼女の権利を支持しなかった。多くの人が彼女に脅迫状を送り付けて,彼女を脅そうとした。
活動家としての仕事に加えて,彼女はまた妻や母親としても懸命に働いた。彼女は6人の子供の面倒をみることに加えて,活動家の仕事のための時間を見つけたのだ。彼女はアメリカ社会を奴隷や女性にとってよりよいものとするのに役立つ運動における初期の指導者たちの1人であった。

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